January 11, 2015, 1:00 am
5枚目(A)が明け方に編めたので、第3回のあみだくじ大会を行いたいと思います。
A.
B.
C.
D.
E.
以上の5枚です。ご希望のかた、コメント欄にてご応募くださいませ~。あ、ツイッターでもかまいませんので。
昨秋の第1回、第2回のあみだくじで当選なさったかた以外のどなたでも応募なさってくださいね。男性のかたもどうぞご遠慮なく(^^)。
あみだくじは1週間後くらいにする予定です。
書き忘れました。Aは、幅が約20cm、長さが124cmです。
この冬はこれが最後のあみだくじになると思います。来月生まれてくる孫の帽子を頼まれていたのをすっかり忘れておりました。それだけでなく、きっとガタガタ忙しくなると思われるので~(^^;)。
では、ご応募お待ちしておりま~す!おまけ: これも世田谷区で撮った「ロウバイ」の花。民家の垣根に咲いていました。初春の花ですね(^^)。
↧
January 12, 2015, 1:00 am
おととい紹介した編み方以外に、「2色のライン」の編み方が載っていたのでやってみました。
「2色のライン 左向き」をためし編みしたもの ↓。
編み方 ↓。不思議なのは、裏編みをするのに表編みに見えることです(^^)。
「2色のライン 右向き」をためし編みしたもの ↓。
編み方 ↓。編み方は同じ裏編みなのですが、2本の糸の1本を上に渡すか下を通すか、の違いだけです。
実際に編んであるのは、この帽子 ↓のように「右向き」が多いようです。
10日にご紹介した「2色の作り目」と、この「2色のライン」が面白いので、頭まわりをこれで編んで、クラウンの部分は別の編み方で帽子を編むのも良いかな、と思っています。いつになるか...(^^;)。
ところで、今年は韓国語にきちんと向き合おうと決意を新たにしたわけですが、何からやろうかしら、と思って最初に思いついたのが「ラジオを買ってNHKのハングル講座を聞く」ことでした。
おとといラジオを買い、今日の午後の「レベルアップハングル」を聞きました。
これを聞いているお仲間がいらっしゃるので、そのかたたちのマネをして、「らじる★らじる」もiPadで聞けるようにアプリを入れました。
それから「マイ語学」にも登録したので、聞き逃した回の放送もストリーミングで聞くことができるようになりました。バッチリです!
だけどもテキストは買いません(^^;)。なぜなら、私は本やテキストを手にするとそれは後回しにするクセがあるから。
今日久しぶりに講座を聞いてみて、聞き取り能力が落ちているのを実感させられました(^^;)。
続けたらいくらかマシになるかしら、と期待しています。
会話の次は文法ですが、これはtopik受験前にやった「韓国語文法辞典」をやり直そうかと思っています。きっとほとんど忘れているはずですから。
今日の東京は良いお天気で、大風が吹いていて寒いです。外出したくない日でした(^^)。
↧
↧
January 13, 2015, 1:00 am
これ、図書館で4回は借りて読んだと思います(^^)。それくらい面白くて笑える文章ばかりで~。
出だしはこんな文章です。
「これは、日本人が成人に達したときに通過しなくてはならない儀礼のひとつーー車の免許取得ーーを怠ったため、三十代もたそがれかかった頃、涙を呑みつつ教習所に丸一年間通った人物の記録である。文中、いくつかフィクションは入るが、大筋は情けないことにノンフィクションで、もっと情けないことに、春夏秋冬、教習所で涙を呑んだ人物とは私自身だ」
初めて教習所の所内コースに出たときの著者のことば。「何かが来ます。むこうから。ほら、何かが続いて来ます。むこうから」!
助手席の教習員が冷酷に言い放ったことば。「車だよ、車。ここをどこだと思ってんの。自動車教習所なんだよ。だから、むこうから走ってくるのが車だってこと、あたりまえじゃない。馬や牛が走ってきたらことだけど」
こんなおかしな会話がもう山のようで、ま、そのへんはフィクションなのかも知れませんけどね(^^)。
仮免試験にどうやって落ちたか。
出だしでエンストをおこした。
エンジンがかかっていない。
シートベルトを忘れた。
信号待ちでのエンスト。
S字カーブで路肩に乗り上げる。
クランクで安全地帯の樹木をへしおる。
縦列に車庫入れ型駐車をしてしまった。 などなど。
仮免試験には何度落ちたかわからない著者ですが、卒業検定にはみごと3度目で受かっています(^^)。
この本の後半の半分は「いつまでも着けない外国」と題して、これまた海外での面白話が満載です。
どうして私がこの本を何度も手にするか、というと、たぶん自分の教習所での経験を思い出すから。
私が教習所に通い始めたのは53歳のときでした。両親があいついで脳梗塞で倒れたこと、半年後に自分が大腿骨骨頭壊死で手術をし、ツエをつくようになったこと(家の中では普通に歩いていますが)がきっかけでした。
それまで自分には免許は縁の無いもの、と思っていましたから、ブレーキとアクセルの場所もウィンカーの存在も知りませんでしたし、道路にたくさんついている標識も見ていませんでした。運転しない者にとっては、見えないんですよね、そういうものは。
それで教習所も行くのがイヤで、春先に回りに宣言したわけです。「秋になったら通う」って。そうすれば仕方なく行きますから(^^;)。
そのころはC型肝炎のために無理はできませんでしたから、最初のうちは実技1時間、学科1時間、なんていう風に授業を受けていたんです。
でも一ヶ月で免許を手にして運転してみたら、なんと運転が好きなのがわかりました。ビックリですよねぇ。
残念ながら、井田さんは2001年に44歳という若さで亡くなりました。若いかたが亡くなると「どうして?」って憤りを感じますねぇ。おまけ: さっき用があって秋葉原に行ってきました。「AKB48劇場」と「秋葉原を歩くタイのお坊さま」。このお坊さまは「なんちゃってお坊さん」かも(^^;)。
↧
January 14, 2015, 1:00 am
「ヘリンボーンステッチ」という編み地を編んでみました。最初編み方を見たとき、「?」ってなりましたが、意外と簡単に編めます(^^)。特に2段目は簡単です。
ためし編みしたもの ↓。「ヘリンボーン(ニシンの骨)」に似てます(^^)。
編み方は右ページです ↓。
とってもしっかりした編み地になり厚さもあるので、防寒用のこういうアームウォーマーにはもってこいだと思いました。それだけに毛糸の量はかなり使うでしょうねぇ。
もう1つの作品は帽子なんですけど、輪編みでかけ目と2目一度をくり返すと編み地がねじることを利用した作品 ↓。
編み図はこんな風 ↓。
載っていた本は、マリアンネ・イサガー著「デンマークの暮しから生まれたニット」↓です。
そういう風に編むとねじれて行くなんて知りませんでした(^^)。わざわざなにか難しい編み方をしたのかな、って思いますよね。これも使えそうです。
お正月開けに借りた編み物の本3冊には、思いがけず知らなかった編み方が紹介されていて知識が豊富になりました。まだまだ知らない編み方があるんでしょうねぇ(^^;)。楽しみです!
おまけ: 秋になるとバルコニーにセキレイがやって来ます。
もう何年も1羽でしか来なかったから、セキレイはつがいでは来ないのか、と思っていました。
ところがさっき5時前に、なんと2羽でパン屑をつついているではありませんか! もう少し暗くなって1羽が飛び立ったら、残りの1羽もすぐ後を追って行きましたから、つがいなんでしょうか?
明日も2羽で来るかしら(^^)。
↧
January 15, 2015, 1:00 am
この物語は、著者が天井裏にひとつの木箱を見つけるところから始まります。2週間前には何も無かったはずの場所にあやしい木箱。
その木箱には「『浮世女房洒落日記』に関しての但し書き」と書かれていて、昭和2年に椋梨順三郎という男が書いたものらしい。
「長持ちにこの手記(日記?)を見つけた。書かれたのは江戸の文化文政、もしくは天保時代か? 書いたのは神田の小間物屋の女房らしい。一読して興味を覚え現代語訳をしたが、発表しようとして思いとどまった。今はその機にあらず」というのがその但し書きの内容でした。
それから、お葛と言う名前の女房の日記が始まります。
1月1日に始まった日記の文章はこんな感じの、ちょっとべらんめえ口調です。
「ーどうも妙な具合。日記だからって朝起きたとこから書くこたぁないか。文も妙に気取ってるじゃないの。嫌だねぇ、もう面倒になってきた。でも短気を起こしちゃいけないよ。今年は日記をつけるんだ、って去年の暮れに決めたのはこの私だ。今日くらいきちんと書かなきゃね」
こんな風な文章で、日々の長屋暮らしを語ります。
登場人物は、神田祭りに一年のすべてをかけ、商売には不熱心なダンナ、同居人で彼女を手助けする男、娘と息子ひとりずつ。その他に、住居である長屋の大家に店子など。
店賃が払えないのもしばしば。それでも花見、花火見物、など季節ごとの楽しみは忘れない。この時代の江戸の町人の暮しも生き生きと描かれていて、登場人物がその辺に暮らしているよう。
お月見に飾るススキを広尾(!?)に刈りに行くなんて、さすが江戸時代だなぁ、と感じました。あの広尾ですよ!
わかりづらそうな言葉には、一月ごとに最後に解説があって、これが勉強になりました。
たとえば
煮売屋(総菜屋)
月並銭(今でいう月謝)
夜鷹蕎麦(蕎麦の屋台)
遊蝶花(さんしきすみれ)
野掛け(今でいうピクニック)
おむら(イワシのこと) などなどたくさん。
お葛の大晦日の日記はこんな感じです。
「さて、今年はどんな年だったろう。いいことも悪いこともあった、うまくいったことも、失敗したことも、まったく変わらないこともあれば、大きな変わり目もあった...やっぱりひと言で言うのは難しいねぇ。だいたい一年をひと言で言い切ろうって根性が野暮じゃないの。だって、いろいろあるのが暮らしてくってことだもの。一年の総まとめ、こんな感想でいいのかね、まあ、いいか。他に言いようもないものね」
木内昇さんというかた、直木賞をとられたかた、ぐらいしか知りませんでした。
知り合いの高校の国語の先生をしているかたが、彼女の書いた「茗荷谷の猫」が大好きだそうで、それで暮れに借りて読んだわけです。それがなかなかのものだったので、図書館で同じ著者のこれを探して借りたのです。
同じく、「みちくさ道中」という本も借りて読みました。タイトルから想像して「時代小説だろう」と思ったら、エッセイ集でした(^^)。
ちなみに、著者の名前は「きうちのぼり」さんと読みます。女性です!
明日は歯科通院で(泣)、たしか10時からだとカレンダーには書き込んではあるのですが、あやしいので電話して確認しました。
「診察券番号を言ってください」と言われ、3度言っても通じない。「?」となっていたら、「もしかして診察券が違っていませんか?」って!
よーく見たら途中までは同じ大学名だけど、歯科病院のではありませんでした(^^;)。
でも「お名前と生年月日をおっしゃってください」とのことで、それでなんとか話しが通じました。あ~あ、やってしまった(^^;)。歳のせいかなぁ...。
あ、あみだくじ大会ですが、Eの希望者が今のところゼロです。よろしければご応募お待ちしておりま~す(^^)。あみだくじは日曜日に予定しております。
↧
↧
January 16, 2015, 1:00 am
2時間しか寝ていなくて、眠たい目をこすりながら(ホントです)運転して行ってきました。
先生が「お変わりないですか」とおっしゃったので、「左下が少し痛いような気がします」と言って調べていただきました。
結果は、問題無さそう、とのこと。ようすを見ることになりました。
私としても、痛いのか痛くないのかわからないような感じなんですねぇ(^^;)。
ですので、歯茎の点検と機械による歯石取りをされました。
これ、けっこう痛いですよね? 私は痛みに鈍感なのでそれほど痛みは感じていないと思うのですが、うがいをすると血が~!
もしかすると、痛みは感じているのに、「これくらいは痛い部類にはいらない」と脳が判断しているだけなのかな、なんてことも思いました。その判断の程度が人によって違うのかな、なんて。
治療を受ける部屋 ↓です。
次回は5月!
下に降りてみると、どこから湧いて来るのだろう、と思うくらいの患者さん。みなさん、歯科治療が怖くないのでしょうか? エラいなぁ(^^;)。
歯科病院は新たに立て直すことが決まっているそうで、平成32年完成をめざしているとのこと。先生は「それまでには出来ないんじゃないか」っておっしゃっていましたが。
お茶の水駅前の「丸善」に寄ってみました。正面入り口前の広場はいつおのようにいろんな商品 ↓が売られています。新古本、CD、DVD、帽子にベルト、ノートなどなど。
私もちょうど切れていたので一筆箋を買いました。伊予和紙だそうです。
ここは不思議なところで、何を買おうと思ってのぞくわけではないのに、結果的に何か買ってしまう、そんな売り場ですねぇ。前にベルトを買いましたっけ。
帰り道、亀戸天神商店街で見つけたのぼり ↓。
亀戸天神で合格祈願をして、帰りにここで祈願蕎麦をお食べなさい、ってことですかね(^^)。
えっと、赤信号で止まった時に撮りましたので(^^)。
↧
January 16, 2015, 9:43 pm
応募者に変化がありませんので、あみだくじを決行(!?)いたしました。
またまた名前を隠して主人に選んでもらいました。緊張の一瞬! 結果はこう ↓なりました。
当選者は
Aがとんそく子さん
Cがはっちさん
Dがおけいはん。さん
はずれてしまったかた、残念でした。また秋にでもやりたいと思います。
BはJessieさんお一人なので、Jessieさんにお送りしま~す(^^)。
Eはご応募が無かったので、私のもの~(^^)。
とんそく子さんとJessieさん、お手数ですが、お名前とご住所をツイッターのDMでお知らせくださいませ。
今日はちょっとガックリ気が抜けた事件がありました。
マンションで「共用排水管改修工事」を検討するらしく、そのために入室して「台所・洗面台・洗濯機置き場・浴室・トイレなどの室内水廻り全般の目視調査」を行う、という連絡が来ました。
ひごろ掃除が行き届いていない我が家では大事件なわけです(^^;)。
毎年暮れには、雑排水管清掃があって、その時も大あわてで大掃除をするんですが、今回は1戸あたり30分程度の調査時間がかかると書いてあるので、さらにきちんと掃除しなきゃ、って思ったんです。
午前中から熱心に(必死に?)動き回り、なんとかやっつけたと思ったら、なんと工事会社のかたはトイレとその回りの壁をコンコンと叩いて確認しただけ! 3分で終わりました。拍子抜けの言葉がピッタリな状況でした(^^;)。
まぁ、おかげでキレイにはなりましたが、ああ、心臓に悪かった!
おまけ: 世田谷を流れている「野川」の岸辺で咲いていた「水仙」。
これを撮った1週間後くらいにテレビで「野川」の特集をやっていたので興味深く見ました。
何と言っても名前が良いですよねぇ(^^)。
そして番組でも紹介していた、武蔵小金井の近くの公園が、東京とは思えない深い森のあるところでした。東京も狭いようで広いんですねぇ。
↧
January 18, 2015, 1:00 am
我が家の納戸というべき小部屋を整理していたらこれがあったのを思い出しました。「ジュニアそれいゆ」復刻版。「国書刊行会」から出されました。
こんな箱入り ↓です。重いです。3キロちょっとあります(^^;)。
たぶん皆さんのお母さんが愛読していたかも?
2003年にこれが売り出された時、私が欲しがっていたら主人が買って来てくれたものです。
ただ、私が実際に手に入れていたものよりやや時代が昔のものでした。1958年の号(下段真ん中)だけ持っていました。
たぶん、姉代わりのいとこが読んでいた号くらいなのかなぁ。いとこの家に行くと、純和風の部屋にリンゴ箱を並べ、そこに布団を敷いてベッドのようにしていたのを思い出します。そのそばに小さな本棚があって、「ジュニアそれいゆ」が数冊並んでいました。
それはいとこにとっても、私にとっても「宝物」のようなモノだったと思います。
内容は、手芸、洋裁、ファッション、芸能、いまだによーく覚えている少女小説、日々の暮しへの提言、などなど。
父が出版取り次ぎ会社に勤務していて、福岡に転勤になりました。支店に行くと、これから書店に配られる本が平積みになっています。たまーに「ジュニアそれいゆ」を見つけた時の喜びと言ったら!
「ジュニアそれいゆ」に影響を受けたデザイナーとしては、芦田淳、高田賢三、コシノジュンコ、金子功、森英恵、丸山敬太さんなどが挙げられます。
この「ジュニアそれいゆ」のコンセプトは、「十代の生活に、夢とあこがれをこめ、新鮮で知性豊かないろどりをそえる」というものだったそうです。
残念ながら、中原淳一氏が心臓発作で倒れ、1960年に廃刊となってしまいました。
「ジュニアそれいゆ」の内容は、今読んでもまったく時代を感じさせないところがスゴいです。ファションにしても少女の生活態度に対するアドバイスも、どれだけ先を行っていらしたのか、と思わされるページばかりです。
表紙が中原氏から内藤ルネさんに変わったのは、中原氏が体調を崩されたため、だったのでしょうか。1959年から廃刊になる1960年まで、表紙はルネさんのものになっています。私が買っていたのは、この頃ですね。
これ、本当はいとこにプレゼントしたら喜ぶだろうけど、けっこうなお値段で主人が買ってくれたので、今はあげられません。そうだ、形見としてあげましょう(^^)。
中原淳一氏のホームページはこちらです。
おまけ: 婿さんが作った「レアチーズケーキ」と「ベイクドチーズケーキ」です。
バター、お砂糖をなるべく使わない方針でやっているそうですが、パティシエ顔負けでした。
今後もっと研究するそうです(^^)。
↧
January 19, 2015, 1:00 am
昨日、お年玉つき年賀ハガキの抽選があって、調べてみたら私あての60枚弱のうち、2枚が3等でした。さっそく本局まで行って交換してきました。
これはけっこうな快挙です。ここんとこ数年間、3等も当たらなかったので(^^;)。
3等は、100枚につき2枚当たることになっているそうです。だから60枚で2枚は、ちょっと良かったくらい、かな?
2等とか1等は当たったためしがありませんが、皆さんはいかがかしら(^^)。
ところでお正月にブロ友のOさんが、1行の添え書きも無い年賀状はどうなんだろうか、とツイッターで疑問を述べていらっしゃったんです。私もそこんとこ気になっていて、そういう人相手の年賀状は減らして行ってました。
そしたらちょうどアメーバニュースで「イラッとした年賀状ランキング」というのを目にしました。
上位3つは以下の通りです。
1位:自分の名前の漢字が間違っていた
2位:親は写ってない子供だけの写真の年賀状だった
3位:手書き部分がまったくなかった
というわけで、やっぱり添え書きが無い年賀状は歓迎されていないようでした。
1位なんですけど、私の名前はひらがなですが、もうン十年漢字で書いて来るかたがいらっしゃいます。親しい人ですが、きっと最初にそう思い込んでしまわれたんでしょう。私はちっとも気にならないので、ご本人に訂正することもなく...(^^)。
2位も、私はイヤじゃないです。むしろ可愛い写真や、成長したなぁ、って感じられる写真、大歓迎なんですけどね。
年賀状も儀礼的なものは少しずつ出すのをやめてきたのですが、今年来た中でも添え書きの無いものが3通ありました。親類は出しますけど、他のお二人のかたには来年は出さないと決めました。きっとあちらも義理で出してくださっていると思うし。
おまけ: 今日、スーパーで見かけた節分用の「柊イワシ」↓です。
お花のコーナーで売られていた「エリカ」↓。これは英語では「ヒース」と聞いたことがあるのですが。ただの「エリカ」よりも「スズランエリカ」と言う名前にしたほうが売れますよねぇ(^^)。
↧
↧
January 20, 2015, 1:00 am
先日、おまけで写真を載せた「岡本3丁目の坂(富士見坂)」。主人が動画を編集しました。
私が初めてこの坂を知ったのは「タモリ俱楽部」という深夜番組で、でした。
タモリさんは「日本坂道学会副会長」を自認していらっしゃるほどの坂道愛好家でいらして「タモリのTOKYO坂道美学入門」という本まで出しています。
前に図書館でこの本を借りたのですが、この「岡本3丁目の坂」が出ていたのかどうか...。無かったような気がします。あの本に出ていたのは、なにかしら歴史的にも面白い坂ばかりだったような? 今また予約してあります(^^)。
動画を見ていると、自転車で来ててっぺんからの眺めを写真に撮る人、トラックを止めてわざわざ写真を撮るために外に出る運転手さんまでいます!
かなり急ですから(勾配22%)、雪が積もったらどうするのだろう、と余計な心配をするわけですが、歩道は階段状になっているので、登下校する子どもたちはこちらを上り下りするのでしょう。
主人は「国分寺崖線」に興味があるため、湧き水をたどって行ったらこの有名な坂を見つけたそうです。前から知ってはいたけれど実際に見るのは初めてだったそうです。
「一度クルマで下ってみたい」と思っているのですが(^^)。
もし行かれるのでしたら、地図はこちらです。
↧
January 21, 2015, 1:00 am
タモリさんの写真と文章による、東京の坂道案内です。この本を借りるのはたしか3度目です(^^)。
昨日の「岡本3丁目の坂」が載っていたかなぁ、と思って借りましたが出ていませんでした。
これ ↓が目次です。坂の多い区に集中して紹介されていますねぇ。圧倒的に港区が多いです。私の住む「川の手」は平坦な土地ですから、ひとつも取り上げられていません(^^;)。
まず表紙の坂は、タモリさんが一目惚れをした「相の坂」で、所在地は目黒区です。
たとえば「相の坂」の紹介ページはこんな風 ↓。
最初にこの坂のお散歩ルート、左ページに地図と「お立ち寄りスポット」。次ページにタモリさんの坂についての説明文と写真、それと「坂道実力判断」が載っています。
これは新訂版なのですが、「初版まえがき」でタモリさんは東京の坂道についてこう述べています。
東京に初めて来て感じたのは、なんと坂の多い所だということだった。
わずか180年ほど前までは、この坂道を武士や町人達が上り下りしていたと思うと、非常に興味深いものがある。江戸の山の手の道は何のためか微妙に湾曲していて、坂道もそうなっている。これがまた風情があってなかなかよろしい。ちなみに私の坂道鑑賞ポイントをあげると、
1 勾配の具合
2 湾曲のしかた
3 まわりに江戸の風情をかもしだすものがある
4 名前に由来、由緒がある
となる。ちなみにこの事を過去、人に話して興味を持ってくれたのは、たった一人だけだった。
ということで、どの坂道にも「坂道実力判断」として「勾配」「湾曲」「江戸情緒」「由緒」の4つに分けて5段階評価がついています。
表紙の「相の坂」の場合、どれも★4つの評価。
この本、小さめで坂道探索に持ち歩くのにも適していると思います。
買って手元に置きたい本ですねぇ(^^)。
↧
January 22, 2015, 1:00 am
木内さんは時代小説が得意と思っていたのですが、これは終戦後の昭和21年11月から話しが始まりました。
漫才師である岡部善蔵は、身動きもとれない列車からやっとのことで降り、上野駅の駅舎を出て「あれっ」と思います。自分が持っている昭和16年の上野の写真には自動車やバスが行き交い、飲食店や理髪店、モダンなビルヂングがたくさん建っているというのに、目の前にあるのは粗末な小屋や露店ばかり。
もしや降りる駅を間違えたのか、とも思うのですが、人はやたらに多い。
実は岡部善蔵は、それまで所属していた一座から夜逃げ同然に抜け出して東京に出てきたところだったのです。
漫才と言っても、万歳芸人。流しで家々をまわり生計を立てて30年。本人としては相当な自信を持って一旗揚げようと意気込んで上京してきたのですが...。
戸惑う岡部の前に現れたのは「おしろいを塗りたくった男の子」でした。「おしろい」はDDTを頭から吹きかけられたもの(^^;)。
男の子の名前は田川武雄。家族を空襲で失った戦争孤児。いつも敬語を使い、めったに笑わない。他人に心を開かない子。
岡部と武雄、その後出てくる光秀(復員兵)は、ひょんなことから浅草六区のはずれにある「ミリオン座」という実演小屋にやとわれることになります。そこはこれからオープンする小屋で、なんと「エロ」を表に出して公演すると言う!
踊り子のショウとショウの間をつなぐのが岡部の漫才、というわけです。
戦後の浅草の小屋事情、人々の暮し、3人とオーナー、踊り子たちとの交流が昭和25年まで語られます。
この時代の暮しについて、ほとんど知りませんでした。この小説はそのへんを詳しく書いてあります。
たとえば食料調達です。常磐線に乗って江戸川を越えて2駅目で降り、農家をたずねて「野菜を売ってくれ」と言っても、農家側は高飛車に出る。町の人間は弱いものですねぇ。売ってくれなければ新鮮な野菜は手に入らないんですから。
ひごろ口にできるのは「ふすま団子」「雑草雑炊」。
銀シャリに卵かけご飯が出た時のみなの喜びようと言ったら!
踊り子は「卵じゃないの!」と奇声をあげ抱き合って喜ぶ。
武雄にいたっては「こんな夢のようなことが本当に現実になるのだろうか。夢が叶っていいものなんだろうか」とまで思うんですねぇ。
岡部は武雄を「ぼっちゃん」と呼び大事に扱いますが、物語のエンディングでは二人は別々の道に分かれて行きます。ここは泣けました。
全体的に会話が多く、特に岡部の優しげな九州弁が印象的な小説でした。
続編が待たれますが、出ないでしょうねぇ。タイトルの「笑い三年、泣き三月。」ですが、「義太夫節の稽古では、笑い方のほうが泣き方よりずっと難しい」ということだそうです。
↧
January 23, 2015, 1:00 am
「一度は自分がついて行きたい」と婿さんが言ったので、昨日は娘夫婦だけでセンターに行きました。
なぜか血液検査も待たずにでき、ガラガラだったそう! それに受診するのも産科だけでした。
産科では「ノンストレステスト」を受けたそうです。
分娩監視装置をお腹につけ、30分横になって受けるもので、内容を理解するのはけっこう大変そう(^^;)。
娘からiMessageが次々と送られてきて、ようすがよくわかりました。
まず、婿さんは病院の雰囲気にグッタリして無愛想になっているそうです(^^;)。
肝心の「ノンストレステスト(NST)」ですが、
「眠かった」
「胎児は元気過ぎるほど元気でした」
「分娩監視装置から逃げ回ってた」
「看護師さん、困ってた。あまりにも逃げるから」
「すみませんすみませんと謝った」
「お腹の張り?とかも測ったんだけど、特に問題なく母体も元気のようです」
「胎児が元気なので30分で終わってよかった」
それから婿さんのようすについては
「疲れて寝てる。病院に慣れてない人は病院の雰囲気に飲まれて相当疲れるようだ」
「いびきかき始めたから中待ち合いから追い出した」
「はずかしい」
診察室では、初めて婿さんもエコー画面を見せられたそうで、先生が「目がダンナさん似だ」とおっしゃったとか。
そして先生が胎児をべしべし叩いたら、顔をしかめてチラッと目を開けてくれたそうです。
今はそんな細かいところまでエコーで見せてくれるんですね! 昔とはエラい違いです。
娘より予定日が3週間早いツイッター友達(ニューヨーク在住)は、昨夜とても安産で女の子が産まれたとか。良かったです(^^)。
おまけ: 世田谷区大蔵に咲いていた「菜の花」。
今日の東京は大風が吹いていて、晴れているのに体感温度は低く感じました。「菜の花」の黄色は明るい春を感じさせてくれますね(^^)。
↧
↧
January 23, 2015, 10:37 pm
NPO法人「ほっとコミュニティ江戸川」にあるレストラン「ほっとマンマ」に、ブロ友NONさんの「羊の絵馬」が展示されているので行ってきました(^^)。
NONさんの記事はこちら。作り方も書いてありますが、貼り付けた羊さんは、NONさんが焼いた陶器でできています。その記事はこちら。
ひとつひとつに書いてある短い文章。よーく考えると奥が深いんですねぇ。
「諦めは心の養生」「猿の尻笑い」などなど。
私も図々しく「ください!」と言ってあったものだから「ほっとマンマ」でお食事をしていたら、お店のかたが持ってきてくださいました。「NONさんから預かった」とおっしゃって。
頂いた絵馬 ↓。「花無心にして蝶をよぶ」...。こういう生き方ができたら...。
「ほっとマンマ」の営業時間などについてはこちらでどうぞ。場所は、江戸川区役所に近いです。
入り口はこんな感じ ↓。主人は「立地も良いね」って言ってました(^^)。
メニュー板 ↓。
私と主人は「エビグリーンカレー」↓を頂きました。エスニックなお味で具もたっぷり。小鉢も2つついていて、栄養バランスを考えてある献立だな、と思いました。デザートのプリンとコーヒーもついて、一人前950円はありがたい(^^)。
店内 ↓です。
それほど広くないお店ですが、落ち着ける雰囲気で、お一人でお食事なさっているかたもいらっしゃいました。
NONさんのブログで「ほっとマンマ」での展示を「良いなぁ」と見ているだけでなかなか行くチャンスがありませんでした。やっと行けました。
場所もわかったし美味しいお食事もできるし、また面白そうな展示があったら行くつもりです(^^)。
↧
January 25, 2015, 1:00 am
モデルは「私の名前はキム・サムスン」の豚ちゃんです。韓国ドラマをご存じないかたには「何のこっちゃ」でしょうねぇ(^^;)。
自分の娘の時は、新生児用のものは編みませんでした。なにしろ生後1ヶ月から5ヶ月間、胆道閉鎖症で入院していましたから、その間は心配でなにも手につきませんでしたし。
今回、娘から「退院するときの帽子を編んで」とリクエストが入りました。それで図書館で何冊か赤ちゃんのニットの本を借りてみました。
その中で「これ」と思うものの写真を娘に送ったら、今回編んだボンネットが良いと言うことになったわけです。
載っていた本はこちら ↓。「シンプルでかわいい わたしの赤ちゃんニット」という本。
写真はこちら ↓でした。
編み図はこちら ↓ですが、ちょっとこの編み図だけでは「?」なところがあって、自分なりのやり方でやっつけました(^^;)。
使った毛糸はオカダヤのオリジナル毛糸「nicole」↓です。ウォシャブルだそうで、お店の人は2個必要、とおっしゃっていて、足りなくなると困るから3個買いましたが、結局1個と少しで完成しました。
そして、編んだ面積は狭いのに意外と時間がかかりました。編むだけじゃなくて、編んだものを「目と段のはぎ」ではいだり、そこから目を拾って首回りを編んだり、ひもも別に編んだせいでしょうね。
だけどやっぱり、お人形の小物を編んでいるような気分でした。まだ同じ毛糸が2個近く残っているので、別の帽子も編もうかと思っています(^^)。
おまけ: ガソリン価格が127円まで値下がりしていました。
↧
January 26, 2015, 1:00 am
庭の世話をしないままもう下旬になってしまいました。なんだかガタガタしているのと寒いので~(^^;)。
今日はわりと暖かく穏やかだったので写真を撮ってみましたが、たいして変わり映えしません(^^;)。
まず、定植しないまま咲いてしまったビオラ ↓。去年のうちに定植するべきだったのですが...。
スイートピー ↓は相変わらず元気です。
レンゲソウ ↓。
アネモネ ↓。園芸店ではもう花が咲いているのが売られていましたが(^^;)。
「フラックス(亜麻)」↓は、晩春に咲く花ですが、つぼみを付けているようです。
「綿の実」を取ったあとの「綿の木」↓です。今シーズンはダメかも知れませんね。
「美女ナデシコ」↓もまだ青々としていて花が咲きそうな勢いです。
「デルフィニウム」↓の苗。
「シュウメイギク」↓もまだ雪が降らないためか、葉っぱもそのまま。
「ポピー」↓は混み合っていたので、このあと間引いてやって、間引いたのも植えてやりました。美味しそう!
こう見るとホントに色の無い庭になっています。「ビオラ」もなぜか今年は紫のものが圧倒的に多くなっています。不思議です(^^)。娘がまだつわりがヒドく、今日は泊まって行くそうです。小柄だから胎児が胃を押しているのではないか、と思うのですが。もう十分に大きくなっているので、早く産まれても良いですよねぇ。
↧
January 27, 2015, 1:00 am
韓国語のタイトルは「궁극의 아이」です。
最初の場面は、亡命中のダライラマにオッドアイの少年がこう予言するところから始まります。「気をつけてください。10年後の今日、あなたは暗殺されます」
そして10年後、ダライラマは暗殺されかかります。手術のおかげでその時は一命はとりとめるのですが...。
そこから舞台は現在のアメリカに移ります。
シングルマザーのエリスと娘のミシェルの家へFBI要員のサイモンが訪ねて来て、エリスの夫だった韓国人、シン・ガヤが最近の殺人事件に関与しているかも知れない、と言う。そして、夫に関するすべてを話してくれないか、と頼むんですね。
ところで「究極の子」とはどんな子か?
それは「オッドアイを持ち、東洋人と西洋人のハーフに見える容貌をしており、未来を予見できる特別な子」のこと。
その能力を利用して富と権力を手に入れ、全世界を思うままに動かそうとする悪の一団がいて、今ではアメリカの大統領まで彼らの言いなりになっているわけです。
シン・ガヤもそういう「究極の子」の一人でしたが、他の子には違う特別な子でした。普通の「究極の子」は、自分の未来しか見えないのに、シン・ガヤはあらゆることの未来を予言することができたのです。
シン・ガヤが10年前に死んだのに、彼から復讐をほのめかす手紙が届き始め、一人、また一人と死んで行きます。
なぜ彼が悪の一団に復讐を誓ったのか。それはニューヨークのワールド・トレード・センターのテロ事件と関係がありました。
韓国で暮らしていた彼の母親が衝突した飛行機に乗っていたことが名簿からわかったからです。
未来を予見できるシン・ガヤは、一味に「テロを止めさせてくれ!」と頼むわけですが、そんなことを聞き入れるやからではない。
そうして研究所から逃げ出したガヤは、10年後の復讐のため、そして愛するエリスと娘(まだ生まれてもいない)を救うために布石を敷いて行くんです。
逃げ出した短い間に愛するようになったエリスの目の前で、一味に囲まれたガヤは自殺してしまいます。
エリスには何が何だかわからないまま、愛する人が逝ってしまった。10年後にやっと彼に関する真実があかされるんですね。
長い小説(540ページ)で、私が韓国語の小説を読む常として、最初つまづきかけるんです(^^;)。なにしろ予備知識がまったくなく、どんなジャンルなのか、登場人物のキャラクターは、などをつかむまでに一苦労です。
でも途中から読むスピードが上がって行きました。この先、どうなるの?という気持ちになって。
エリスの娘のミシェルも結局、父親と同じ「究極の子」であるのがわかり一味に拉致されてしまう。サイモンとエリスは必死に彼女の居場所をつきとめ、助け出そうとするのですが...。
とても構成が入り組んでいて、私の文章ではこの本をうまくご紹介できていないのは確実です(^^;)。
これはミステリーなのかな?愛の物語なのかな?という感想を持ちました。面白かったです(^^)。
おまけ: またgifです。我が家のルーフバルコニーから見た、スカイツリーと首都高「中央環状線」。
↧
↧
January 28, 2015, 1:00 am
月曜日に来た娘が二泊して今日帰る予定です。
なぜ我が家に来ているかと言うと「食べづわり」で苦しんでいるから。
私は「食べづわり」って知りませんでした。
普通のつわりなら、妊娠12週くらいにはおさまって来るのに、出産までつわりが続く人がいるのも初耳でした。
でも検索してみると「妊娠後期のつわり」なるものが存在するとのこと。その症状は「胃痛」「胸焼け」「げっぷ」などで、赤ちゃんが大きくなって妊婦の胃を圧迫し、そのために胃酸が逆流することによって起きるそうです。
「食べづわり」はこの事なんでしょうか? と思って調べてみたら、初期でも後期でも「空腹になると気持ち悪くなるので、なにか口に入れないといけない」という症状らしいです。
「妊娠後期のつわり」をやわらげるには「食事を小分けにして食べる」「消化の悪いものや刺激物を避ける」「炭酸飲料は飲まない」「食後30分は横にならない」などだそうです。
なにしろ、その時その時で食べられるものが変わるし、食べられるものも限られていて、専属シェフである私もたーいへん(^^;)。
自宅にいると「オエッ」となりながら料理もできないみたいですから、やっぱりこちらに来ているほうが良いのでしょう。
それと、自宅にいると不安で吐いてしまうそうです。こちらでは吐きそうにはなるけれど一度も吐きません。つわりの重い、軽いも、精神的な要素が大きいようです。
センターへの通院が毎週になったので、明日はまた送迎係で行ってきます。「一人で行ける」と言っていたのですが、やっぱり不安らしく頼んできました。
明日も産科だけなので早く帰れそうですが、骨盤の広さを見るのにレントゲン撮影があるようです。胎児の頭の大きさと、骨盤の広さを考えて自然分娩にするか帝王切開になるか、が決まるとのこと!
今は帝王切開でも入院はたったの8日だと聞いて驚きました。それで退院して大丈夫なのでしょうか? まぁ海外だと出産の翌日に退院というのも珍しくないらしいですからねぇ(^^;)。
あさっては雪が降る予報が出ています。去年の日記を見てみたら、2月の4日と8日に大雪が降っています。娘の入退院のころにそうならないと良いのですが。
おまけ: 多摩川にかつてあった「宇奈根の渡し」。「矢切の渡し」のようにここを船で渡っていたんですね。二子玉川の少し上流付近です。
↧
January 29, 2015, 1:28 am
今日から毎週の通院になりました。
まず採尿。今日は採血も無く、産科も空いていました。近くの科もガラガラ ↓。
ノンストレステスト2回目をやりました。
胎動を感じたら手元のボタンを押す。それと胎児の脈拍が一致しているか、を見るそうです。
胎児も元気で20分で終わったそうです。
その後、診察で、エコー検査と内診があったのですが、内診がとても痛かったそうです。
子宮口がまったく開いておらず、産まれそうな気配ゼロだったとか。先生から、スクワットと朝晩1時間ずつの散歩をすすめられたそうです(^^;)。
なんと胎児の体重がすでに3300gになっているそうで、心配になりますねぇ。
それから、前回細胞を採って調べた「一般細菌 鏡検・培養」の結果は、異常ナシでした。これになにか見つかった場合、帝王切開のあいだ、抗生物質を点滴されるらしいんです。
来週の5日も通院です。
そして娘は今日も我が家に泊まります。婿さんが「平日は実家にいてくれたほうが安心」と言っているので。明日の夜また自宅に帰ることになっています。
センター内にあるお子さん用の列車 ↓。娘は乗ったことはありません。動くんでしょうか?
↧
January 30, 2015, 1:00 am
「くしひきちもり」と読みます。
木曽の藪原宿で「お六櫛」で生計を立てる家に生まれた登瀬が「父のような櫛挽きになりたい」と思い続け、当時は「女だてらに」と言われながらも、櫛挽きの仕事に没頭して行く物語です。
「お六櫛」は、飾り櫛とも解かし櫛とも異なり、髪や地肌の汚れをくしけずるのに用いられる櫛のこと。
梳櫛であるので、たった一寸の幅におよそ三十本の歯を挽かなくてはなりません。
登瀬の父親の吾助は、髪の毛数本しか通らぬ狭い歯と歯の感覚を、板に印をつけもせず、勘だけで均等に挽くことができる神業の持ち主でした。
時代は江戸末期。和宮降嫁の時には、中山道を通って江戸まで旅する一行3万人も、この藪原を通りました。
木曽で一番の腕を持つ吾助の櫛とは言っても、朝から番までかかって挽いた四十枚の櫛が、たった米一、ニ升とわずかの銭が得られる程度。
このような毎日の中でも、登瀬の身にも事件は起きます。父の後を継いだであろう弟直助が川遊び中にわずか12歳で亡くなったり、櫛木の問屋から持ち込まれた縁談を断ったために、櫛木を選ぶ順番も後の方にされる目にも遭います。
家族の誰も知らなかった直助の秘密も明かされるのですが、なんと直助は、自分で創作して絵もつけた草子を、中山道を行く旅人たちに売っていたと言うのです! 物語も絵も、子どものものとは思われる作品で、これを手に入れるのが楽しみで藪原を訪れる旅人もいた、と知った登瀬は本当に驚くんですね。
かなりの櫛挽き技術をもう身につけていた実幸が吾助の弟子になってから登瀬は心穏やかでなくなっていきます。実幸のほうが自分より先に吾助の業を盗んで自分のものにするのではないか、という焦り...。
実幸は、これほどの出来の櫛に対してなぜこんなに評価が低いのか、と憤り、少しずつ思い切ったやり方で櫛を売り始めていきます。
登瀬は、師匠である吾助に対する不遜とも言うべき実幸の態度にどうしても馴染めないまま、婿入りを申し出た彼と夫婦になります。
なんと父親の吾助は実幸の申し出に首をたてに振ったからです。
木曽の藪原にも江戸末期という時代の波が少しずつ押し寄せて来る。それを背景に、登瀬という女性の櫛挽きに対する思い、心を開くことができない夫との明け暮れが描かれます。
「なぜこの人は貧しい我が家に婿入りをしたのか」「なぜ薹の立った私と夫婦になったのか」という登瀬の疑問は、だんだんに解き明かされて行きます。
私は、藪原ではなく「奈良井の宿」には行ったことがあり、お六櫛がたくさん売られているのも見ました。現代では、手で挽かれた櫛はあまり無いのでしょうねぇ。おまけ: 今朝、雪が降って少し積もりました。朝10時のポピーの鉢です。大雪注意報が出るほではなかったと思うのですが(^^;)。
↧