木曽の藪原宿で「お六櫛」で生計を立てる家に生まれた登瀬が「父のような櫛挽きになりたい」と思い続け、当時は「女だてらに」と言われながらも、櫛挽きの仕事に没頭して行く物語です。
「お六櫛」は、飾り櫛とも解かし櫛とも異なり、髪や地肌の汚れをくしけずるのに用いられる櫛のこと。
梳櫛であるので、たった一寸の幅におよそ三十本の歯を挽かなくてはなりません。
登瀬の父親の吾助は、髪の毛数本しか通らぬ狭い歯と歯の感覚を、板に印をつけもせず、勘だけで均等に挽くことができる神業の持ち主でした。
時代は江戸末期。和宮降嫁の時には、中山道を通って江戸まで旅する一行3万人も、この藪原を通りました。
木曽で一番の腕を持つ吾助の櫛とは言っても、朝から番までかかって挽いた四十枚の櫛が、たった米一、ニ升とわずかの銭が得られる程度。
このような毎日の中でも、登瀬の身にも事件は起きます。父の後を継いだであろう弟直助が川遊び中にわずか12歳で亡くなったり、櫛木の問屋から持ち込まれた縁談を断ったために、櫛木を選ぶ順番も後の方にされる目にも遭います。
家族の誰も知らなかった直助の秘密も明かされるのですが、なんと直助は、自分で創作して絵もつけた草子を、中山道を行く旅人たちに売っていたと言うのです! 物語も絵も、子どものものとは思われる作品で、これを手に入れるのが楽しみで藪原を訪れる旅人もいた、と知った登瀬は本当に驚くんですね。
かなりの櫛挽き技術をもう身につけていた実幸が吾助の弟子になってから登瀬は心穏やかでなくなっていきます。実幸のほうが自分より先に吾助の業を盗んで自分のものにするのではないか、という焦り...。
実幸は、これほどの出来の櫛に対してなぜこんなに評価が低いのか、と憤り、少しずつ思い切ったやり方で櫛を売り始めていきます。
登瀬は、師匠である吾助に対する不遜とも言うべき実幸の態度にどうしても馴染めないまま、婿入りを申し出た彼と夫婦になります。
なんと父親の吾助は実幸の申し出に首をたてに振ったからです。
木曽の藪原にも江戸末期という時代の波が少しずつ押し寄せて来る。それを背景に、登瀬という女性の櫛挽きに対する思い、心を開くことができない夫との明け暮れが描かれます。
「なぜこの人は貧しい我が家に婿入りをしたのか」「なぜ薹の立った私と夫婦になったのか」という登瀬の疑問は、だんだんに解き明かされて行きます。
私は、藪原ではなく「奈良井の宿」には行ったことがあり、お六櫛がたくさん売られているのも見ました。現代では、手で挽かれた櫛はあまり無いのでしょうねぇ。
おまけ: 今朝、雪が降って少し積もりました。朝10時のポピーの鉢です。大雪注意報が出るほではなかったと思うのですが(^^;)。