出だしはこんな文章です。
「これは、日本人が成人に達したときに通過しなくてはならない儀礼のひとつーー車の免許取得ーーを怠ったため、三十代もたそがれかかった頃、涙を呑みつつ教習所に丸一年間通った人物の記録である。文中、いくつかフィクションは入るが、大筋は情けないことにノンフィクションで、もっと情けないことに、春夏秋冬、教習所で涙を呑んだ人物とは私自身だ」
初めて教習所の所内コースに出たときの著者のことば。「何かが来ます。むこうから。ほら、何かが続いて来ます。むこうから」!
助手席の教習員が冷酷に言い放ったことば。「車だよ、車。ここをどこだと思ってんの。自動車教習所なんだよ。だから、むこうから走ってくるのが車だってこと、あたりまえじゃない。馬や牛が走ってきたらことだけど」
こんなおかしな会話がもう山のようで、ま、そのへんはフィクションなのかも知れませんけどね(^^)。
仮免試験にどうやって落ちたか。
出だしでエンストをおこした。
エンジンがかかっていない。
シートベルトを忘れた。
信号待ちでのエンスト。
S字カーブで路肩に乗り上げる。
クランクで安全地帯の樹木をへしおる。
縦列に車庫入れ型駐車をしてしまった。 などなど。
仮免試験には何度落ちたかわからない著者ですが、卒業検定にはみごと3度目で受かっています(^^)。
この本の後半の半分は「いつまでも着けない外国」と題して、これまた海外での面白話が満載です。
どうして私がこの本を何度も手にするか、というと、たぶん自分の教習所での経験を思い出すから。
私が教習所に通い始めたのは53歳のときでした。両親があいついで脳梗塞で倒れたこと、半年後に自分が大腿骨骨頭壊死で手術をし、ツエをつくようになったこと(家の中では普通に歩いていますが)がきっかけでした。
それまで自分には免許は縁の無いもの、と思っていましたから、ブレーキとアクセルの場所もウィンカーの存在も知りませんでしたし、道路にたくさんついている標識も見ていませんでした。運転しない者にとっては、見えないんですよね、そういうものは。
それで教習所も行くのがイヤで、春先に回りに宣言したわけです。「秋になったら通う」って。そうすれば仕方なく行きますから(^^;)。
そのころはC型肝炎のために無理はできませんでしたから、最初のうちは実技1時間、学科1時間、なんていう風に授業を受けていたんです。
でも一ヶ月で免許を手にして運転してみたら、なんと運転が好きなのがわかりました。ビックリですよねぇ。
残念ながら、井田さんは2001年に44歳という若さで亡くなりました。若いかたが亡くなると「どうして?」って憤りを感じますねぇ。
おまけ: さっき用があって秋葉原に行ってきました。「AKB48劇場」と「秋葉原を歩くタイのお坊さま」。このお坊さまは「なんちゃってお坊さん」かも(^^;)。