きのうは私事でお騒がせいたしました。コメント、ツイート、ありがとうございました(^^)。
こういう話題だったのですが、今までで1番アクセス数が多く驚きました。
そしてやはり「胆道閉鎖症」で検索してこられるかたもいらしたので、そのへんのことを少し書こうと思います。興味のないかたはスルーしてください。
まず娘が今通院している「国立成育医療研究センター」なのですが、ここは前に通院していた「国立小児病院」がなくなり、都立大蔵病院と併合してあらたに生まれた医療機関です。
娘は生後1ヶ月半と2ヶ月半の2回、「国立小児病院」で胆道閉鎖症の手術を受けました。
その後、平成14年3月に「国立成育医療研究センター」に移りました。ですから生後1ヶ月半から現在までのカルテはここに保管されています。
今、赤ちゃんが同じ病気で闘っているかた、もう少し大きくなって妊娠・出産で悩んでいるかたもいらっしゃると思います。
少しでも娘の経験が参考になったらと思います。
娘は昭和59年4月生まれです。
最初に娘の異常にきづいたのは、生まれて1ヶ月経った時でした。ミルクを欲しがって泣くことが減ってきたような気がしたのです。
出産したお茶の水の病院で1ヶ月検診があったので先生にそれを告げたのですが、「なんともないでしょう」とのこと。
でも母親の勘でしょうか、なんとなくおかしい。
翌日、ちょうど我が家に来ていた母と一緒に葛飾区の休日診療所に行きました。診てくださったのは、大江博恭先生でした。
じっくり話を聞いてくださり、「なんともないと思うけど、ちょっと顔色が気になるなぁ」とおっしゃって、あちこち電話で連絡をとって下さいました。
救急車を呼んで下さったので、3人で都内に向かいます。どの病院に行くのかわかりません。
着いたのは本郷にある「日本医科大学付属病院」、根津神社の前あたりにある病院でした。
救急処置室で診ていただいたわけですが、ここでも、「異常は無いようだ」とのこと。
でも私が納得がいかなくてグズグズしていたら、娘の手がけいれんし始めたのです。先生も、「あ、これは」という顔をなさって、「検査をしますので、娘さんだけ入院させて下さい」とおっしゃいました。
サンダルばきでお財布だけ持った姿で総武線で帰宅しました。
この時は、「病院に預けたのだから安心」という心境でした。
その晩おそくなって電話があり、「脳出血がありました」とのこと!
それからは毎日面会に行きましたが、検査中とかで会えないまま帰る日もありました。
先生からは、「出血の位置によっては、目が見えなくなるかも知れない。呼吸器の場合、生きることもむずかしいかも」とのお話です!
そのころは家の中でも笑いというものがまったくありませんでした。
脳出血の治療としてはビタミンKの投与をされ、こちらのほうの危険性はなくなったのですが、今度は「便が白い。胆道閉鎖症の疑いがあります」と言われました。
でもそんな病名、まったく聞いたことがありません。私としては脳出血のほうが恐ろしい症状だろうと思って、胆道閉鎖症という病気がどれほど重いものか理解できていませんでした。
病院では「手術の担当医が海外出張でこちらでは手術できません」とのこと。「国立小児病院」か「慶応大学病院」のいずれかに転院することになりそうでした。
娘をやっと長い時間抱っこできたのが転院するタクシーの中とは!
「国立小児病院」でも救急処置室で先生が診て下さいました。先生が娘の肛門の周囲を押すと、歯磨き粉のように真っ白い便が出ました!
ここでもまた詳しい検査をされ、生後1ヶ月半で最初の手術。
手術のようすは、NHK教育テレビ(当時)の「あすの市民」という番組で放送されました。私たち夫婦は、数日後、その映像をすべて見せられ、気になるところはカットしてもらうことができたのです。
以下の写真は、その放送の中からのものです。
タイトル ↓です。
手術室に入った娘 ↓。
麻酔が始まりました↓。
執刀して下さった、外科医長の中條俊夫先生 ↓。
いよいよ手術開始です ↓。
「葛西式」という、胆管を完全除去し、肝臓(胆汁の出口)と腸をつなぐ手術です。
お昼前に始まって、待ち合い室にいた家族たちもいなくなった夜、やっと手術が終わりました。7時間はかかったと思います。
その手術後は胆汁も出て一安心したのですが、しばらくしてまた出なくなり2度目の手術を生後2ヶ月半で受けました。この時の成功率は30%と言われました。そして3度目の手術は無い、と。
さいわい、娘の術後の容態も安定していて、9月のある日、病院から、「調子も良いので明日退院になります」との電話が来ましたが、うれしいのと退院の準備できてない、と焦るのの両方でした。
長くなるので、いったんここで記事をアップします。退院後から現在までは次の記事で書きますね。