どなたかのブログで「関寛斎」の名前を見た記憶があります。北海道開拓の歴史に名を残した人物、として。
これはその「関寛斎」の妻「あい」を主人公にした物語です。
先日ご紹介した髙田さんの「晴れときどき涙雨」の「文庫版あとがき」でこの本のことが書かれていたので図書館で借りたわけです。
そのあとがきで髙田さんは
「私には長年、『書きたい』と願う物語がありました。徳富蘆花氏や、司馬遼太郎氏、城山三郎氏等々、名だたる文豪が愛してやまなかった幕末の偉人、関寛斎。関寛斎は北海道陸別町を開拓した人物ですが、私が描きたかったのは、その妻、あいの物語でした」
と書かれています。
陸別町を何度も訪れて、陸別町在住の郷土史研究家のかたから段ボール1箱の貴重な資料をもらい、寛斎とあい、両方の生家の継承者に執筆の許可をもらった髙田さん。
その後、ふたりが暮らした千葉県、徳島県、北海道とふたりの足跡をたどったそうです。
そして、陸別町に残っていた、長崎留学時代の関寛斎の日記の中に髙田さんが見つけた1文。「昨夜アイヲ夢ム」!
この1文に「妻への溢れ出す慕情」を感じ取り、髙田さんはこの作品を書き上げたわけですね!
73歳で北海道開拓のために徳島を離れるまでの関寛斎は医者であったわけで、その間の物語にページが割かれているように感じました。
そしてこの物語で大きな存在になるのが「ヤマモモ」の樹(髙田さんはこの字を使っています)。
あいが生まれ育った房総の村に生えていた「ヤマモモ」の樹。高熱のために家を出て霧の中を迷っていたあいの目に写ったのは、少年が「ヤマモモ」の樹に取りすがっている姿でした。それはのちにあいの連れ合いとなる関豊太郎(寛斎の幼名)でした。
その後も「ヤマモモ」は最後まであいの心の中にある樹として描かれます。
近くの公園にも街路樹にもたまに「ヤマモモ」の樹を見つけられます。今後はこの樹を見る目もだいぶ変わるかも知れません(^^)。
読んでいる途中に何度もウルウルしましたが、最後の10ページあたりで涙がこぼれてしまいました。鼻水まで(^^;)。
次に読むのは、これも「晴れときどき涙雨」で紹介されていた「銀二貫」です。
今朝起きてみたら台風並みの大雨でした ↓。そして止んでは強い雨、止んでは強い雨、のくり返し。次の台風9号、10号、11号が日本列島を囲んでいるようです。気をつけましょう!