これも、和田誠さんの「ほんの数行」を読んで借りてみました。
この本は、1992年に新田次郎文学賞を受賞した作品です。
半藤さんの奥様は、夏目漱石の外孫。つまり半藤さんにとって漱石先生は義理の祖父ということになります。
あとがきによると「正統の文学研究や学術論文とはおよそ関係ない、どうでもいい漱石像の一端というか、作品にかんする無駄話というか、そんな役に立たぬエピソードがやたらと手元に集まった」そうで、それを一冊にまとめたものが本作品なんですね。
まず著者は、漱石の最大傑作は「坊ちゃん」と決めているそうで、その理由は、「江戸弁というより正しくは東京語が、たまらなく嬉しいから」とのこと。著者も東京は向島の生まれだからでしょうか?
「まぶしい」は「まぼしい」、「さびしい」は「さみしい」または「さむしい」であり、「どうりで」は「どうれで」。漱石も「どうれで変だと思った」と正しく書いているそうです!
松山中学での教師としての漱石は、試験の点の辛さで生徒たちには敬遠された面もあったそうです。だれでも六十点前後、優等生も落第生も十点と開きがなかったとか。
それから、雅号である「漱石」という単語の由来、正岡子規からどうようにその雅号を譲り受けたか、などの話も書かれています。
漱石が漢学を好んで「老子」や「荘子」を読んでいたことは、作品にも影響を与えていて、「大声は俚耳に入らず」や、「無為にして化すと云う語の馬鹿に出来ない事を悟る」などという文章にそれが表れているそうです。
それらは「我が輩は猫である」の中のことですが、「坊ちゃん」にも「虞美人草」にも「門」にも「老子・荘子」からの引用があるそうで、これでは私などには「何のこっちゃ?」になるのは当たり前ですねぇ。
漱石がイギリス留学中にノイローゼになったという噂の真相についても語られています。
初耳だったのは、明治36年に華厳の滝に飛び込んで死んだ、「巌頭の感」の藤村操が漱石の教え子であったこと。そしてその死の2、3日前に、漱石に予習をしてこなかったことでひどく叱られた藤村が自殺したために、漱石もさすがにあわてたらしいことでした。
でも「我が輩は猫である」の十章で「打っちゃって置くと巌頭の吟でも書いて華厳滝から飛び込むかも知れない」と、この事件を使っているんですねぇ。
漱石先生とは関係ないことですが、第一話「べらんめえ」と「なもし」の章で半藤さんは「犬がつく言葉は、猫同様にこれまたあまり褒められたものがない」と書いていて、その後に「犬が星見る」にかっこして(いやしい者が高望みをする)と注釈を入れています。
私の大好きな、武田百合子著「犬が星見た」もその言い回しにあやかって付けたタイトルなんでしょうか?
武田さんは、そのあとがきではこう書いています。
仕事部屋の掃除をしながら、ものめずらしげに本を覗いている私を、武田はおかしがったものである。
「やい、ポチ。わかるか。神妙な顔だなぁ」と。
まことに、犬が星見た旅であった。楽しかった。糸が切れて漂うごとく遊び戯れながら旅をした。
それから、第七話に、私が通院している駿河台の眼科病院に漱石先生も通っていたことが書かれていて意外でした。古い病院なんですね。
よく考えてみれば、きちんと漱石の作品を読んだ記憶がないんです。なんということでしょうか!