これまた「雑草」で検索して図書館から借りてきました。この本がどんな本か、カバー裏の「紹介文」にはこのように書かれています。
小説などによく登場する「道ばたの名もない草」という表現。しかし、名前のない人間がいないように、カラスだのイヌだの、ひどい呼び名であれ愛らしい名であれ、どんな雑草にも必ず名前があるのだ。人間から邪魔者扱いされながら人間世界にたくみに適応してきた雑草の生態と、同じように社会からのけ者扱いされながらも個性豊かな生を全うした有名無名の人物とを重ね合わせながら、歴史の闇に消えかけている彼らの生涯に光を当てた28篇の好読み物。
たとえば「オオマツヨイグサ」↓のところでは、「富士には月見草がよく似合ふ」という有名な文章から始まります。
(荒川河川敷にて)
でも実際は、太宰治が訪れた御坂峠の茶屋には月見草は無かったそうです。彼は付近を歩いて採ってきた月見草のタネを茶屋の勝手口のあたりにまいたのだそうです。富士に月見草が似合うと思ったから。つまり現実ではなくて未来形だったんですねぇ。
よく知られていることですが、本当の月見草の花は白い花で、近頃ではほとんど見られないそうです。太宰が見たのも黄色い「オオマツヨイグサ」でしょう。でも彼が見たのは、もうひとつの仲間「アレチマツヨイグサ」だという説もあるらしいのですが(^^;)。
この仲間には他にも「マツヨイグサ」「コマツヨイグサ」「メマツヨイグサ」などがあり、見分けるのも難しいようです。
「ヒガンバナ」↓の章に出てくる人物は「阿仏尼」です。「十六夜日記」の作者として有名ですね。
(スカイツリー前の浅草通りで)
藤原為家の側室であった阿仏は、為家なき後に起きた荘園争いのためにまず六波羅探題に訴え出ます。ところが六波羅探題は彼女の言い分を認めません。
そこで彼女は大胆な行動に出るわけですね。なんと鎌倉幕府に直接訴え出ることにしたんですねぇ。その京から鎌倉までの道中記が「十六夜日記」だそうです。
ところで、この本の著者は2人で「草野双人」というペンネームで著作をなさっているそうです。
お1人は、中学卒業後、京都の大徳寺に入ったものの、早朝の起床とお経がつらくて、毎朝の遅刻がひどくなる。そして2年で破門。
そういう事情も面白く読みました(^^)。
他に気になった文章を挙げると
萩で、「カラスノエンドウ」のマメを干している婦人たちに出会い、「それ、雑草でしょう? おいしんですか?」と訊ねて、「都会っ子なんだねぇ」と笑われたそうです。天日で乾燥させたあと、お茶のようにお湯を注いで飲むのだそうです。
これ、得意になって主人に話したら、知ってました(^^;)。主人は岡山の、わりと山の中で育ったので。
もう少ししたら「カラスノエンドウ」のマメを探してみます!
「ドクダミ」↓の章では、著者が大徳寺で小僧をやっていた時、茶会の朝、和尚さんが裏庭の隅から白い花の開いた「ドクダミ」を1輪手折ってきて、茶室の小柱の竹の一輪挿しに活けたそうです。それが「なんとも清々しかった」とか。
(小松川境川親水公園にて)
それから「ヒルガオ」についても私の気になっていた事実がわかりました。
ピンク色が可愛いから、「ヒルガオ」のタネが欲しいと思って探すのですが見つからないんですね。「ヒルガオ」は白くて太い地下茎で殖えることが多く、アサガオのような種子をつけることはめったにないそうです。そうだったのか...。
また「ツユクサ」は、著者がナイジェリア熱帯雨林の町で1年過ごした時、その日本的な風情で、ずいぶん慰められた花、だそうです。
そして帰国後マラリアを発症して入院。
40度を超える高熱が落ち着いて夢から覚めると、ある外科の先生が担当医になっていたそうです。あまり口数は多くないが、浅黒く日焼けした肌が、精悍な印象を与える人だったとか。
ベッドのうえで退屈を覚えるようになったころ、看護婦さんが、「先生が書いた本ですよ」と持ってきてくれたのが「わがアマゾンートウチャン一家と十三年」という本だったそうです。
なんとその担当医は、グレートジャーニーで有名な探検家「関野吉晴さん」だったんですって!
あと「ヨウシュヤマゴボウ」↓では、「駅名のような名前だな」と思ったそうです。「ムサシコガネイ(武蔵小金井)」とか「シモウサナカヤマ(下総中山)」というのと似た響きに聞こえたから、だそうです。
(横十間川河川敷にて)
JR総武線の「下総中山」は、私の実家の最寄り駅です(^^)。
私の文章では取り上げられている人物がどんな人たちなのか、わかりにくいと思います。
登場するのは、「島秋人」「竹久夢二」「阪庭清一郎」「関根正二」「井上井月」「島田尺草」「牧野富太郎」などです。
この本、実に読みでがあるし、雑学も豊富になるし、おススメで~す。