どうも私は「日記」という二文字に弱いかも(^^;)。日記文学が好きです。特に好きで何度も読んだのが、武田百合子著「富士日記(全三巻)」です。
ところで「日記文学」というのは日本独特の文学ジャンルだそうですね。
この本は7人の作家の日記や作品を読みながら、それぞれの作家が自分の部屋や家をどう見ていたのか、また家が作家にどのような影響を与えたのかが書かれた本です。
7人の作家は「夏目漱石」「寺田寅彦」「内田百閒」「永井荷風」「宮沢賢治」「石川啄木」「北原白秋」です。
この中で「寺田寅彦」と「内田百閒」は、ともに漱石を師と仰いだ作家なんですねぇ。2人とも、漱石が亡くなった後、本当の弟子でもない人たちが漱石の門下であると言っていることに対して不快感をあらわにしているのを知って面白かったです。
あら、私は日記と家との関係を考えるよりも、作家たちの人生に興味があるんですかねぇ。
私は「内田百閒」の「阿房列車」の愛読者でもあるので、終戦後の彼の住まいに関しては少し知っていました。掘っ立て小屋のようなところに住んでいたんですねぇ。
二階建ての家で、両親、妻、2人の子どもと穏やかな生活を送っていた時代から、空襲で家を焼かれ、わずか3疂の掘っ立て小屋に佐藤こひという女性とその姉の3人で暮らすことになるまで、私の疑問に答えるような文章が載っていました。
26歳という若さで亡くなった石川啄木の引っ越しの回数には驚きました。これはすべてやむにやまれずした引っ越しで、職も転々と変え、自分の家というものを持てない人生でした。
経済的困窮からふるさとの渋民村にもどっても、母と妻の3人でやっと見つけた住まいは6疂一間の煤だらけの部屋。その一間が3人の寝室、食堂、応接室、そして啄木の書斎までを兼ねていたんですね。
一間でもそこに机を置けばそこが書斎、というわけです。
この本で作家が少しの間でも住まいとして定めた土地として、私の育った市川市、それから現在の江戸川区小岩が二度ずつ登場します。
日記は面白いです。それと作家の家に対する思いをからめたこの本、読んだ後もとても印象に残る本でした。
実は昨日というか今朝(深夜)、手術した左足の股関節のあたりから臀部にかけて痛みが走り、ものにつかまらないと歩けない状態になりました(^^;)。
「もしや脱臼?」と不安になり検索してみても、脱臼を防ぐ姿勢に関してはたくさん出てくるものの、どういう痛みなのか、については無いんですねぇ。不思議です。
脱臼だったら全身麻酔で入れ直さないといけない、なんて聞いていましたから恐ろしかったのですが、少しずつ動けるようになりました。脱臼ではなくて、変に足をねじったのかも知れません。
足を組むのもいけないそうです。これは知りませんでした(^^;)。
大腿骨骨頭壊死で人工股関節置換手術をしている私には、してはいけない姿勢がいろいろあります。靴下を履くのもコツが要りますし、湯船に入る時も注意が必要です。
明日は歯科行き、土曜日はオフ会なので、「行けなかったら困るなぁ」と思っていましたが大丈夫なようです。ホッとしました(^^)。