2003年7月に出版された本です。
読んでいるうちに「もしかして著者は京都の宮脇売扇庵の跡継ぎでいらっしゃったのかな?」と思いました。お父さんが扇関係の仕事をしているって書いてあるし、最後の最後にやっと日本に帰り着いて家を探したのが京都の六角富小路周辺であったことからそう推測したわけです。
でも著者の略歴を見ると「戦争中、サイゴン南洋学院在学。旧制三高、京大卒。上京し、無職、放浪。出版社に勤務して文芸書編集。劇団非常勤顧問」となっています。扇子とは関係のない道を歩んでいらっしゃるようですが...。
肝心の本の話しですが、米原万里さんの「打ちのめされるようなすごい本」に載っていた書評を読んで借りたのです。
どこがスゴいか、って言って、太平洋戦争末期(1944年)にアメリカ軍艦から攻撃を受けながら「死のバシー海峡」をなんとか越えてサイゴンにある「南洋学院」という学校に入学するということが、です!
「南洋学院」というのは「高等商業、外語、高等農林を足して3で割ったような学校」。「南方における日本の発展に必須な指導的人材を南方の現地において養成する学校」。またそれは「外務省が発案し、文部省が関与して予算も組んでいながら、外国地であるために官立学校とはならず、財団法人南洋協会が運営する私立学校」なんですね。
目的は良いとしても、なんで「サイパン玉砕」のニュースがもたらされているこの時期に、フランス領インドシナの学校に入学する必要があったのか、という点が非常に疑問ですねぇ。
この本では、著者が「南洋学院」を受験するところから、命からがら帰国するところまでが語られています。「あとがき」で著者はこの本は「小説」であると言っていますが、私が読んだ限りでは、これは「自伝」だと思われるのですが...。
読みやすくてすごーく面白い本でした。
太平洋戦争の末期のサイゴンでののどかな学院生活。その後、徴兵され、猛獣が出てくるのを恐れながらジャングルを進んで、ラオスの通信基地にたどりつく。結局そこで日本の敗戦を知ることになるわけです。
こんな学院が当時そこに存在していたことも、この本を読んで初めて知りました。読書って楽しいですねぇ(^^)。
本の背に図書館のシールが貼られているのですが「集密」となっています。これは何かと思って検索したら、よくわかるサイトがあったので載せておきますね。