今月5日の記事でご紹介した本、週刊朝日編集部編「忘れられない一冊」の中で、読みたいと思って借りたのが、千葉敦子著『「死への準備」日記』でした。
千葉さんの著書を読んだのがこれが初めてで、読んでから、これは千葉さんが最後に書かれた本だと気づきました。
それ以前の彼女の乳ガンとの闘病について知るには、もっと借りて読まなければなりませんでした。
それが「乳ガンなんかに負けられない」「私の乳房再建」「ニューヨークでがんと生きる」でした。
もう一冊借りた本、1986年11月発行の「ニューヨークの24時間」は、闘病中に執筆された本ではあるけれど、病気とは関係の無いエッセイで、自分ががん患者であることに触れたのは5行くらいだったでしょうか。
『「死の準備」日記』は、彼女が亡くなった1987年9月9日の二日前、7日の文章で終わっています。
それは
体調悪化し原稿書けなくなりました。
多分また入院です。申しわけありません。
でした。
この本の中から特に印象的なところについてご紹介したいと思います。
1987年、乳がんが縦隔のリンパ節に転移し、そのために声を失ってしまったそうです。片方の乳房を失ったこともあるし、抗がん剤の副作用で頭髪をすべて失ったこともあったけれど、声の喪失は比べものにならなかったそう。
彼女にとって、声と会話は武器だったのです。
また、再発を知った日本のファンから手紙が届き始めたけれど、読んでがっかりするものもあったとか。
それは
「記事を読んで、思わず泣いてしまいました。近くにいらしたら飛んで行って、一緒に泣いて差し上げますのに」
これに対し彼女は
私の病気は非常に深刻で、涙にくれている場合ではないのだ。
だいたい、私は六年前に癌にかかって以来、自分の病気のことで泣いたためしなど、ただの一度もない。感傷に浸っている時間などありはしないのだ。
と書いています。
また、この本が出版されてからすでに30年が経っていますから、事情は変わってきているのですが、当時の彼女の思いは
日本人女性の消極性、行動力のなさ、勇気のなさ、盲目的な従順さ、組織力のなさ、国際情勢に関する無知、演説のまずさは、日本の教育の普及度を考え合わせると、なんとも不可解な現象だ。
でした。これは今でも言えることかも?
また
私は、ひとり暮しが一番すてきな生き方だと思っている。ひとり暮しだからこそ、好きな土地を選んで住み移ることができ、好きな働き方を求めて転職を繰り返したあとフリーランサーになれたのだ。ひとり暮しだからこそ、自分の好みのペースで働いたり遊んだりできるのだし、異性との間に、その人と私にとって最も好ましいユニークな関係を築くことができる。子どもを作らないことによって、世界の人口問題に貢献できる。
とも言っています。
そして、日本とニューヨークの医療の違いも各所に出て来るのですが、30年経つとこのあたりもどう変化しているのか私にはわからないところです。
5冊読んでいて、時代の差を感じたのがもうひとつ。PCについてでした。
1986年くらいになってやっと彼女はPCを使い始めているんですね。それまでの著書の中で、近い将来PCが普及するだろうと述べていますから、持っていらっしゃらなかったと思われます。
だとすると、この30年という年月、世の中はなんと変わったことでしょうか。
5冊読んで感じたこと。それは千葉さんがなんと自立した強い人間だったのか、ということでした。自分の考え方が少し変わったような気がします。