和田発子著 「『お入学』中学編 親たちの受験期」 というタイトルなのですが、この本の66ページにこういう文章が。
「五十番以内の阿部二郎のところにスカウトマンがかけつけないのも、うがった話なのだ」
この前後から推測すると、この 「うがった話」 とは、「当然だ」 「正しい判断だ」 の意味だと思われるわけです。
私がそれまで考えていた 「うがった」 の意味は、「偏っている」 「ひねくれている」 というものでした。
それで、この著者、使い方を間違えているなぁ、なんて不遜な見方をしていたのですが、数年後、著者の言い方は正しかったのを知って愕然となったことがありました。
「うがった」 の正しい意味は、「物事の本質を深く捉えた」 という意味なんですねぇ。
そして、私のように間違って使っている人も、日本人の半分くらいいるそうです!
19日にご紹介した、山本文緒著 「そして私は一人になった」 の中にも、著者の同じような経験が書かれていて興味深く読みました。
79ページに、友人の言葉として出て来たのが次の文章。
「どうも私はうがった性格で人から嫌われているかもしれない」
この人は、物事をまっすぐ見られず、ついついひねくれた感想を持ってしまうそうなんです。
そして友人から、「フミオちゃんの小説も結構うがってるよね」 と言われた著者、「私も"うがっている"ことにはちょっと自信がある」 と書いています。
ところが、帰宅してから辞書を引いてみた著者、私と同じように驚くわけです。
「うがつ」 というのは、著者が思っていたような意味とは違っていたから。
それでこう書いています。
「うがった見方をする、というのは、物事の裏の見方を明らかにしたり、人情の機微などをとらえることを言うそうだ」
著者も正確な意味で使っていたのではなかったわけ。作家でも、なんですねぇ (^^)。
よく考えてみれば、「うがった」 に関する知識は、学校で教えてもらったわけでもなく、きっと読んだ本だの人が話しているのを聞いてそう思い続けていたんでしょうね。
日本語の本当の意味や用法で間違っているもの、たくさんあるんでしょうねぇ (^^;)。
大寒波ですが、今のところ葛飾区はほとんどわからないくらいの小雨です。雪マークが出てはいましたが...。大雪の降る地方のかた、気をつけてください。
おまけ: 今日スーパーで撮ったもの。節分の商品展示ですねぇ。これが終わるとバレンタインに変わる...いえ、もう売り場の一部にはパッケージもステキなチョコが売られていましたわ (^^)。