実はこれ、昨年の11月に、ブロ友のazukinakoさんの記事で知ってはいたのです。1回は見たものの、なんだか時間帯が私の生活リズムとは合わなくてそれ以来見ていませんでした。
ドラマを見てすぐに原作を図書館に予約しました。深夜でも翌日の朝でも予約すると、お隣の区の図書館サービスは素晴らしくて、借り出されていなければその日の午後3時半には中央図書館に届きます。うちの区もこうならないかしら(^^;)。
ああ、本の内容ですね。
「ベランダーの手記」は、ホームページで、ある日、唐突に始まりました。
もともとは、カレル・チャペックの名著「園芸家12ヶ月」に感動して書き始めたそうです。それはよーく理解できます。
それにしてもこの本の中で著者はどれほどの数の植物を購入し、またどれほど死に至らしめたことか!
たぶん、系統だてて購入しないで「欲しい」という気持ちで手に入れてしまうから、かな?
でもそれぞれの植物をしっかり見て、水をやり、あるいは水をやらず、肥料もやり、置き場所を変え、などするのにもかかわらず、ダメになるものはどうしようもないんですねぇ。
中身を食べたあとのアボカドのタネを植えてみたり
マンションのゴミ置き場で、捨て子のオンシジウムを見つけ、一度は部屋にもどったものの翌朝拾いに行ったり
花屋の前で他の植物を見ていたのに、通りがかったおばあさんから「親の意見とナスビの花は、千にひとつの無駄もない」という格言を聞かされ、ナスビの鉢植えを買ったものの、実はひとつもならなかったり
遠くのマンションのベランダに同志を見つけたり
ビデオのロケに山梨に行ったが、仲間が仕事に熱中しているあいだに、ポピー畑を眼光鋭くウロウロし、タネ袋を見つけほくほく顔になったり
福岡のデパートの園芸コーナーで千円の値段のついたおじぎ草を見つけるものの、「雑草じゃないか」と買うのをためらう。が、結局それを購入して飛行機で連れ帰るものの、数日後、近くのスーパーで同じものが180円で売られていることに愕然としたり
憧れていた「吊り忍」を、吊らないでトイレの貯水タンクの上においたり
するんですねぇ(^^)。
著者がほめたたえている花は、と言うと、「ニチニチ草」「アマリリス」、そして「アルストロメリア」。それぞれ理由が違うのですが。
「アルストロメリア」は切り花としか考えていませんでした。でも、いとうさんが、「だまされたと思って、一度育ててみていただきたい」と言うのだから、育ててみる価値はありそうです(^^)。
「アサガオ」に関してはこう書かれていて「えーっ」って思いました。
人は朝顔に葉水をやりたがる。夏に涼をとるためだというが、俺はそれだけの理由とは思わない。我々はどこかで、乳幼児的な甘えを残した朝顔に水を与えたくて仕方がないのだ。その甘えが我がことのように思えるからである。母恋いの要素を濃く保つ朝顔だからこそ、我々はこの植物を愛し、せっせと世話をする。つまり、朝顔は自分の中の幼児性を象徴しているのである。
全編を通して実感したのは、ベランダーというのは、常に鉢の置き場所を探しているものだ、ということ。もう置き場所も無いのにまた植物に惑わされて買ってしまう、そういう人間なんだなぁ、ということでした(^^)。
おまけ: うちの「ボタニカル・ライフ」。「縛られゴーヤ」が熟してきました。これは来年のタネ用ですかね(^^;)。やっと咲き始めた「マルバアサガオ」。ホッとします。