面白さをねらった小説じゃないのに、20回くらい、クスッ、フフフっと笑ってしまいました。
主人公は「花村茜」、独身、43歳。
一人暮らしをしていた父が亡くなり、所有していたマンションは兄が、茜はアパートを相続することになりました。
そのアパートと言うのが、「郊外へ走る私鉄の高架沿い、一方通行をL字に折れて始まる急な上り坂の中腹に、脇に入る小さな階段があって、それを上った狭い路地の、袋小路のどんづまりに」あるのです。
目の前は墓地!
しかも、築20年、全九戸のうち四戸が空き室、というありさま。
茜だって、もしも無情な肩たたきに遭わなければ、ボロアパートの住み込み管理人になどなろうとは思わなかったでしょう。
住人がまた一筋縄ではいかない面々ばかり。
父の最後の愛人であったと思われる老女、無収入のウクレレ弾き、男の子3人を育てているバツイチ男性、老夫婦の亡霊、整形を繰り返す42歳の女性、探偵稼業のあやしいハンチング男。
茜が管理人になってきてから入居したのは、クロアチア人の詩人で、近くの「国際日本東京江戸川大学」の客員教授であるイヴァン。
それぞれの店子とのエピソードも面白いのですが、なんと言っても、茜のことわざ、古文に対する無知さ加減がおかしくって笑えました。
たとえば、「蜻蛉日記」の中の
思ひあらば 干なましものをいかでかは 返す衣のたれも濡るらむ
を「気遣いのある人なら、なまものは干してから送るのが普通なのに、ひっくり返したこちらの服も濡れるほど汁けのあるものを送ってくるなんて気が利かない」という意味にとるほど(^^;)。
これを聞いて身をくねらせて笑ったのは、高校時代の同級生でバツイチの尾木くん。この人は、ことわざに詳しい、元予備校の国語の教師で今はバー経営者なんですね。
淵に臨みて魚をうらやむは退いて網を結ぶにしかず
などと同窓会で説教をしたり、「人間いたるところ青山あり」についても、「このことわざは、非常によく、『人生いたるところ』って間違えられるけど、人生じゃないからね。人間だから。しかも、『ニンゲンいたるところ』って読む人が多いけど、ジンカンなんだ。意味は世間、みたいなところだね。『青山あり』も、美しい景色はいたるところにあるって思っている人がほとんどだけど、『青山』は墓場のことだ。ようするに死に場所はどこにでもあるって意味なんだよ」と説明してくれるような人。
尾木くんともなんだかんだあって、茜は尾木くんの新天地になるであろう福島までついて行くことを決心します。
ところが茜がうっかり落としていった紙切れを拾った尾木くんは、それを茜がしかけた謎掛けだと誤解してしまうんですねぇ。
あとは...興味が沸いたらお読みになってください。面白いです、この本!
中島さんの他の本を借りようと思うのですが、うちの区の図書館もお隣の区の図書館も、めいっぱい予約してあるので今は予約できません(^^;)。なかなか来ないのを解約(もとい、取り消し)して中島さんの本を借りちゃおうかな?