著者のことは、名前と「なにかの分野で業績を残した人」くらいしか認識していませんでした。
が、略歴を読んで驚きますね。
1938年、大阪に生まれる。京都大学大学院で理学博士号を取得。同大学基礎物理学研究所助教授、慶應義塾大学教授を経て、現在は名誉教授。アモルファス研究の第一人者として世界的に活躍。1984年、第4回猿橋賞を受賞。
この間にも、海外の大学で客員教授をしたり、日本物理学会会長をつとめたりもしています。
専門の物理学での研究のすばらしさもさることながら、ご主人がイギリス留学生に選ばれると、イギリスの30あまりの大学の学長あてに「貴大学の大学院で物理学を学びたいので、奨学金を出していただけないか」という趣旨の手紙を出すんですね。ご主人と離れたくないから。
するとなんと2つの大学から「来てもよい」という返事が来て、ご主人はロンドン、著者はそこから汽車で4時間の地方に住むことになります。
これはほんの序の口、この後も著者は積極的にいろいろなことに挑戦し世界的に認められる論文を多数、この世に送り出すわけです。
いちばんビックリしたのは、幼稚園児だった5歳で「三角形の内角の和は180度」を理解したこと!
それは数学に非凡な才能を持っていた母、敏子さんが証明してみせたときのこと。
著者はそのときの衝撃をこう書いています。
「雷に打たれたような」
「天地開闢(てんちかいびゃく)に立ち会ったような」
「目も眩むばかりの鮮やかな魔術に、魂を呑まれてしまったような」
大学に行きたかったのにその夢を果たせなかった母、敏子さんは、著者にその夢を託したわけです。
敏子さんの指導のおかげで著者は小学校低学年のうちに中学の幾何を習得できたそうです!
物理学で名を挙げるなど、凡人には考えられないことですが、この本を読んで感銘を受けたのは、著者の生き方でした。
まったく健康体だからこれだけの実績を積み上げられたんだろうなぁ、と思っていたのですが、実際はまったく違いました。
最初の妊娠で異常がわかり、医師からは子宮摘出をすすめられますが拒否。うまいことがん細胞が陰性になり女の子を3人産みます。が、35歳のとき、子宮前がん状態で、子宮摘出。44歳と45歳で、両乳房を全摘。
そして70歳でこんどは甲状腺がんで7時間の大手術を受けているのです。
それなのにまったくめげずに次の目標に向かってつっぱしる。素晴らしいと思うと同時に、自分の精神的な弱さを思ってガックリきました。歯医者がイヤだなんて言ってる自分って何?って反省させられました(^^;)。
この本は著者が「自伝」として書いたものですが、もっと実生活について詳しく書かれたのが「二人で紡いだ物語」↓です。
こちらを読むと、家族間のあれこれ、入院、手術時のようすなどもよくわかります。こちらは2000年7月の出版です。
おまけ: 今朝はじめて咲いていた「ルコウソウ」。