(2013年 三鷹にて、となっていました)
図書館に予約してからだいぶ待たされました(^^;)。
サイズは新書判になるのでしょうか? 持ち運びしやすい大きさです。
この本、高校卒業後に上京してから現在までの東京と自分のかかわりを、都内100ヶ所の思い出とともに書いています。
「はじめに」で著者は
あくまでも自分の生活に付随した風景だから場所が随分偏った。観光の供にはならないだろう。しかし、これが僕の東京なのだ。東京は果てしなく残酷で時折楽しく稀に優しい。ただその気まぐれな優しさが途方も無く深いから嫌いになれない。
と書いています。
本当にあった話がほとんどですが、フィクションというか妄想というか、そういう話も出てきます。
ずっと持ち続けてきた「敗北感」「自意識」についての記述が多いとも感じました。
どれも紹介したいけれど、少しだけ。
34番目。「渋谷道玄坂百軒店」の章。
そこで何度も職務質問を受けた著者は警察官に、「なにか声をかける基準があるんですかね?」と逆に質問。すると「そうですね、顔色が悪い、目が充血している、目の下にクマができている、頬が痩けている...とかですかね」と言われ、「それが本当だとすると、僕は一生職務質問されると思った」と書いています(^^;)。
49番目。「秋の夜の仙川」の章。
お金が無くて後輩と散歩をしたり、公園で話したり、銭湯に行ったりと平成の世とは思えないような日常を送っていた著者は面白い遊びを考案します。それは通行人の魂を相手に気付かれないように「ズゥ~」と吸う遊び!
52番目。「浜離宮恩賜庭園」の章。
著者はここを「屁をこくのに最適な場所」ですって!
54番目。「日本橋を起点に観る記憶」の章。
ここはたった6行で終わっています。「歌川広重が描いた日本橋を見たことのある人は、現在の日本橋を見たら物足りなさを感じると思う。上には首都高速が架かっているため陽があたらず暗い。何より空が狭い。だが、日本橋こそが『東京まで◯キロ』という標示の起点になっている場所らしい。ここから国道1号線も始まり、僕が生まれた大阪の街まで繋がっている。あの仏具屋にも、あのたこ焼き屋にも繋がっている」。
62番目。「汐留の大通りに面したコンビニエンスストア」の章。
芸人になったらカメラマンに隠し撮りされ週刊誌に載るのだろう、などとミーハーな想像をしていた著者。ですが、「日々は敗走につぐ敗走、七転八倒、心身挫傷、やがて泣き言も尽き自分の才能の無さと精神の脆弱さに辟易し、見るに堪えない嘔吐を繰り返しながらなんとか生きていた」んですね。
それでも転機が訪れ徐々に忙しくなっていくうちにその日がやって来ます。「週刊誌に記事が出ている」と連絡が入りコンビ二に確認しに行った著者。
ですがそれは「熱愛発覚」などという華やかな記事ではなく、「コンビ二でサラダと水を購入」という地味な記事。「挙動不審、怪しい、職務質問されるのも解る」という文言が目に飛び込んできたそうです!
最後になる100番目の場所は「アパート」になっていて、売れっ子になった最近でも「風呂無しアパートを借りた」という文章を読んで意外だな、という印象を持ちました。
でも18番目の「吉祥寺の古い木造アパート」の章に「僕は古いアパートが好きだから」とあって納得しました。
漫才のネタは著者が書いているそうですね。
著者の人間としての中味の不思議さに加えて文章のうまさがこの本を読みでのある作品にしているんだろうなぁ、と思いました。
おススメです(^^)。