読んだ順に「円仁(えんにん)慈覚大使の足跡を訪ねて」「遣唐使全航海」「遣唐使」です。
「円仁慈覚大使の足跡を訪ねて」は、最後の遣唐使船で唐に渡った僧「円仁」の9年間にわたる、出発から帰国までをつづった日記「入唐求法巡礼記」に沿って、アメリカ人女性が現在の中国を旅した本です。
「遣唐使全航海」は、著者の説になっている全部で15回の遣唐使派遣について、1回ごとに「派遣された人物」「航路」などについて詳しく書かれています。
「遣唐使」は、最初に遣唐使について読む本として、一番適当かな、と思いました。
「入唐求法巡礼行記」も借りました。円仁の日記なのですが、こんな感じ ↓でとても読みにくく、20ページほどで読むのをあきらめました(^^;)。注が多いので~。
これらを読んだ結果、無知な私が遣唐使についてわかったことがいくつかありました。内容が多いので、本当にざっとした感想です。
まず「遣隋使・遣唐使」ともに、回数がはっきりしていないこと。「遣隋使」については、3回、4回、5回、6回の数え方があること。「遣唐使」については、12回~20回と、これまた「遣隋使」よりさらに数え方は複雑になっているそうです。
また一度だけでなく二度、派遣された人物もいたこと。たとえば「犬上御田耜(三田鍬とも書く)」は、最後の遣隋使であり、最初の遣唐使でもあった。
また派遣された人物の中で、日本に帰国しなかったものもいたり、唐で結婚して、できた子どもを連れて帰国したものもいた。
派遣されて、そのまま遣唐使一行と帰国するものがほとんどだが、次の遣唐使船で帰ったりするものもいた。長期の留学生になると、かなり後の遣唐使船で帰ったりもした。
遣唐使のメンバーは大きく分けて、使節・船員・随員・留学者の四つになること。この中には「通訳」や「医師」「陰陽師」なども加わっていたそうです。
また遣唐使の帰国時に唐の僧侶や他の外国人(ペルシャ人など)を連れ帰ることもよくあったようです。752年の第10回の遣唐使船は、帰路に鑑真和上を乗せて日本に向かったのですが、それには和上の弟子たち17人も含まれていたそうです。
最後になるべき894年の遣唐使は、大使に任命された菅原道真の出した上申書により中止となり、結果、836年に出発した「承和の遣唐使」が最後の遣唐使派遣となった。
記録の残っている第二回遣唐使の場合、船は2隻で乗員はぜんぶで241人。後半期は、ほとんど4隻に600人ほどが乗り組んでいたそうです。
とにかく630年から838年まで200年に渡る遣唐使の歴史。その間には周辺諸国との関係も変化し、それによって航路も変わるわけですね。
そのころの日本とアジアについての歴史も勉強しないといけないなぁ、と思いました(^^;)。