物騒なタイトルですが、女優の藤真利子さんとお母さんの闘病日記です。ブロ友のTさんの記事で知って図書館から借りました。
藤さんは作家「藤原審爾」さんのお子さんですが、お母さんは正妻ではなかったようですね。
前半部分には、お母さんとご自身のこれまでが語られています。お父さんとは晩年近くなるまで親子らしい行き来は無かったようです。
「はじめに」に書かれているように、最愛のお母さんは2016年11月に、肝硬変、腎機能障害による多臓器不全で92歳で亡くなられました。藤さんの11年間にわたる介護の末。
介護の始まりは、お母さんに子宮がんが見つかった1982年の夏でした。
その後、乳がん、胆石、ヘルニア、ガングリオンで手術。続いてもう片方の乳房にも乳がんが見つかり手術。
2005年には転んだことで腰椎骨折。そして脳梗塞で倒れる。
入院していた慶應病院は急性期の病院なので長期の入院はできません。その転院先を探すのが大変だったようです。転院につぐ転院。
都内の老人病院と施設の一覧表をもらって片っ端から電話をかけてわかったこと。それはママの病状が重いこと、特に留置カテーテルとブジー(排便)がネックだったそうです。
悩んだ末に藤さんが出した答えが「在宅で介護する」ことでした。
在宅介護での問題点は、ヘルパーさんの確保、介護用品の購入などなど山積みです。
なにしろ藤さんが仕事をしないとお金が出て行くばかりですけれど、ママを置いて地方巡業に出る時などの心配はどれほどのものだったでしょうか。
月に2回、居宅医療で来てくれる医師がやぶ医者だったことにも藤さんの怒りはおさまりません。それは想像できますねぇ。
在宅になるまでに手術や入院、転院の際に、いわゆるコネ(ツテ?)を何度か使っていらっしゃいます。これはコネの無い人は長期間待たなきゃいけない、ってことですよね。どこでもこれはあるのでしょうけれど。
うちの場合も、母が脳梗塞で倒れた3ヶ月後に父も同じ脳梗塞で倒れるという年がありました。それぞれ、都内と市川市の端っこの病院に入院して、私たち家族3人で右往左往しました。
その後はいろいろ手はずを整えて在宅になったわけなんですけども、もう本当に記憶が飛ぶくらい大変な思いをしました。
今は父も亡くなって母ひとり、施設でお世話になっています。預けてはいても心配は絶えません。
主人が散歩中に見つけた「ヒヤシンス」↓。水栽培じゃない「ヒヤシンス」ですね(^^)。