たしか図書館の新刊案内で見つけた本です。
著者は山の雑誌「山と渓谷」の元副編集長だったかた。
この本には、山行の思い出、仕事で出会った人々との記憶、などがつづられています。
とっても読みやすくてステキな文章で、たまに笑ったり、ちょっと涙ぐんだりしました。近頃よく涙が出るのは歳のせいもあるのかな(^^;)。
私も山では2度も高山病になったくせに山が大好きで、ガイドブックを見ながら自分なりの行程を立てたりしていました。
自分の足で登った最高峰は、白馬岳かな、燕岳かな?
この本には低山の魅力もたっぷり載っていて、高くなくても良い山はあるんだな、と思わされました。
中で印象に残ったのが「甲山にハトを捨てに行った話」。
著者がこどもだった頃のこと。庭にキジバトが来て家族でエサをやって可愛がっていた。そこに闖入者が! 猫とドバトです。
私たちは同じハトでもドバトを明らかに区別し、彼らの来ることを拒んでいた。なぜならキジバトは本来山鳩であり、数も少なく、一羽あるいはつがいで訪れ、ごく品よくおとなしく、鳴き声にも深山の趣があるが、ドバトは群れで行動し、バサバサとがさつで、鳴き声などないに等しく、おまけにフン害をまきちらす。
ここのところ、まったく私が同感するところなんです。どうしてもキジバトとドバトに対する視線が違ってしまうんです。品は鳥に関しても大事だと思います(^^)。
そして家族はそのドバトをどうしたか? わなをしかけて捕まえるんですね。そしてそれを家から20キロも離れた遠くの山に行って放したわけなんです。
家族はがっくり疲れて遠い道のりを家まで戻って来ました。
するとどうでしょう、あのドバトが彼らより先に家に戻っているじゃないですか! あ〜あ、ですよね(^^;)。
他にも「なるほど」と思える文章がいろいろありました。
一緒に山に行く相手というのは、話さないでもいい、話さなくてもわかり合えるとお互いが思っている相手というのがいちばん望ましい。
それらを山上から見ながら思う。よく見えるのもいいけれども、なにもかも見えなくてもいい。なにもかも見えることが、必ずしもいちばんよいことではない。見えないときにこそ、よく見えるものもある。
本当に山が好きな人は、その山が高かろうが低かろうが、有名であろうが無名であろうが、それぞれにその山のよさがわかる。そしてそれぞれにその山と相対する。それが真の山好きというものだ。そうした人たちが、今日もあらゆる山のなかをひっそりと歩いている。
足の手術をしてから山歩きはキビシくなりました。上高地には行きましたけれど、あれくらいかな、歩けるのは。
GWを過ぎたころまた行きたいなぁ。